欲しい物は限りがない

こんばんは、散財し過ぎて自分を見失い始めたmeitanteiです。

転職により可処分所得が増えたため、欲しいものは大体この手中に収めたが、いまいち満足感、充足感がない。数年前に比べ、欲しいものを気兼ねなく手に入れる状態なので、学生時代の俺からしたらすんばらしい環境なはずだが、うーん。

学生時代は金がなかったので、欲しいものもある程度我慢して、昼夜バイトで貯金箱にチャリンチャリンとお金を貯めて、なんとか欲しい物を手に入れる生活をしていた。金がないからこそ吟味&調査で本当に欲しいものを買えていた気がする。

「欲しがりません勝つまでは」を地で行っていた、平成なのに。

今の俺が欲しい物は本当に俺の欲しい物か?

アディダスのベッケンバウアーやポンプフューリー、ダークアロハシャツ、chromebook、ラムネ(ブルーハワイ味)など、散財に精を出しとる僕だが、時折虚しくなる時がある。
 
俺はホントにこんなもん欲しかったんか?
いや欲しかったは欲しかったけど、喉から手が出るほどは欲しくないというか。
欲しい→買うの基準がかなり低くなっとるのも影響している気がする。吟味フェーズが以前よりも激減している。
 
本当の自分が欲しくて買ったのか、ネット広告の猛烈なアピールにより潜在意識に刷り込まれて買ったのか、よくわからなくなる瞬間が定期的に訪れる。後悔するほどの知能がないため、もやもやするだけで済んでいるが。
 
特にポンプフューリーがそうだ。20000円弱が14000円になるっていうセール情報を目にしてから、突発的かつ発作的に買ってまった。それまでは欲しいと思ったことすら忘れていたのに。
 
踊らされとる?…
いやまさか俺に限ってそれはない。
いつでもどこでも合理的な判断を下せることで有名だ。
 
ネット通販が我々のようなパンピーにも浸透し始めたときは「こんなにも便利なものがあるんか」と驚いたものだが、今となってはボタンひとつでお金が飛んでいく仕組みが怖い。
 
人間誰しも血迷う瞬間はある。
その一瞬の血迷いをAmazonは見逃さない。
24時間血迷えない生活を送らなければいけない。
進化し過ぎた文明はもはや恐ろしい。
 
本来人間が狩りをする場所であるアマゾンで、逆に人間が狩られている。

欲しい物がなくなる日は来るのか?

ふむ、難しい質問だ、というか答えがない質問だ。

バカなので自分で問いかけた質問に答えられない、ぱねえ状況だこれ。

どうしよう、どうしよう、出来るだけ頑張って考えるので温かい目で見てください。

多分「欲しい物がなくなる日は来ない」と思う。

なぜなら「人間の欲望にはキリがないから」だと思います。(小学20年生)

国産の良い車を買って、一生満たされて生きられるかと言うとおそらくNOだ。外車が欲しくなる気がする。

ということは?

どうせ満たされないので欲しい物は買うだけ無駄…?

いやいやいや日本経済を回すという意味では、買い物はしまくるのが正解では?

特にこのコロナ禍では日本企業に金を落とすということはすんごい重要な気がする。

あれ、これって投資家独自の視点?もしかして投資家の視野かこれ?

ただ欲しい物に金を使えば使うほど良いかと聞かれるとなんか違う気がする。

うーん、よくわからんなぁ。

昔はこういうクソ記事を量産していたなぁと懐かしい気持ちになった。

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ABOUT US

meitantei
30代の既婚現役SE&WEBライター業。
資産運用、電化製品、ファッション、金属バットなど自分が好きなコト、モノを発信するブログです。
「来てくれた人に損はさせない」が信条。

留年ギリギリで大学卒業後、底辺フリーターに従事。 その後、ゲーセン、税理士事務所、零細SES、中小SIerと謎のジョブチェンジを重ねてます。